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2009年、1年間の離職を経験したITエンジニアです。転職に役立つ情報にクリック1つでジャンプできます。
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プロジェクトではあまりにも多くの犠牲を伴いました。数倍もの見積もりと実績の乖離。過度な要求と過剰な勤務時間により、顧客も含めて共に病気になりプロジェクトの途中退場者が幾人も発生。公式報告するに至らない精神的な病を負った者も・・・。病気にならずとも、幾人もの人たちが超越した要求の中、過剰な勤務時間を耐え抜きました。自らも最終的には1週間オフィスから一切離れず、シャワールームにさえも行けず1日2、3時間程度の睡眠で乗り切りました。そのときには幻聴まで起こり、もはや自分が極めて危険な領域にいることを認識していました。
■プロジェクトにおける金銭的な損害 平常~ピーク時を踏まえれば、契約書で定めたリソースに対し3~6倍を投入。そのシステム環境に詳しい方々は、プロジェクトが始まる前からきちんと気づいていたんだろうと思います。つまり、このことは起こるべくして起こったということを意味しています。
■父の他界 父は限界まで通院と短期入院を繰り返してきましたが、ついにホスピス患者として入院。その3日目の2011年7月29日に永眠しました。2年の余命を宣告されて2年半経過。それでも最後の1ヶ月を除き、自転車に乗れるほどで不治の病を思わせなかったといいます。父は大阪、私は横浜に住んでおり、加えて仕事に忙殺されていたため、プロジェクトの期間(1年半)は一度も会うことができませんでした。それがひょんなことから7月24日に再会を果たせ、3日ほど一緒に過ごせました。入院した日は一緒に寝ることもでき、父がどんな状態に達しているのかをこの目で見ることができたのです。もはや死が目前に迫っていることは、顔つきから容易に読み取れました。やるせない思いの中、7月27日の昼頃、時間をとってまた週末か翌週末に来ることを約束。微笑みながら、父と相互に昔よくした敬礼をして立ち去りました。結果としてこの会話が最後の挨拶となりました。
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